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明治期の萬屋造林事業請負事務所 片品護岸工事 利根郡東村(現・利根町)
大字大揚地先 明治44年 栗生隧道(府県道戸鹿野会津道)
利根郡白沢村(現・白沢町)大字高平
東村大字大原入会 大正9年完成 栗原川河岸修築工事 昭和12年12月 初めてのアスファルト舗装工事
市道昭和通り線 昭和36年 国道120号線(椎坂峠) 昭和38年改良 昭和43年舗装完成 入野橋(プレストレスト・コンクリート橋梁)
多野群吉井町地先鏑川 昭和51年完成

■1897

現「萬屋建設株式会社」の母体となる「萬屋」を星野筆吉が
明治30年3月、利根郡東村(現・利根町)追貝に創業。
当初は雑貨商を営んでいたが、間もなく造林請負業を開始。
さらに、建設請負業を中心とするようになり、
名称も「萬屋組」に変更。

■1920

地元民の長年の悲願だった栗生隧道開削(府県道戸鹿野町
会津道)を県が決定、「萬屋組」が受注。 不景気や物価高騰など不運に見舞われながらも、万難を排して大正9年に完成。
県下随一の建設業者としての実績を築く。
また、大正11年には東京出張所も開設。

■1947

星野筆吉の次男・星野弘が代表取締役となって昭和22年、
利根郡沼田町大字沼田に「株式会社萬屋組」を設立。
翌年には「萬屋建設株式会社」に名称を変更。

■1959

年間完成工事高が6000万円を突破。以後、資本金も増資し、
最新の建設機械を導入。施工の機械化、施設の充実などで
経営の近代化を推進。

■1961

矢木沢ダム原石山道路新設工事で、初の請負金1件1億円
工事を受注。また、市道昭和通り線舗装工事で初の
アスファルト舗装工事を受注。

■1963

星野弘の次男・星野光が代表取締役に就任。

■1967

年間完成工事件数100ヶ所を突破。片品村大字東小川に
コンクリートプラントを設置。
翌々年には年間完成工事高10億円突破。
東京都豊島区東池袋に東京支店を開設。

■1972

埼玉県戸田市に東京支店埼玉営業所を設置。

■1973

フレシネー工法について、極東鋼弦コンクリート振興
株式会社と協定、群馬県内唯一のPC工法実施権を取得。
また、同年には1件請負額3億円を超える工事を初めて受注。

■1977

萬屋建設創立30周年、萬屋創業80年記念式典開催。同年、
星野光の妻・雅子が代表取締役に就任。

■1990

沼田市始まって以来の中心街再開発事業「下之町再開発」
が平成2年よりスタート(平成5年まで)。
地元企業として萬屋建設が参画。

■1995

創立50周年、創業100周年に向けてCIを実施。
「景観設計提案企業」をコンセプトに、その思想を反映した
新社屋を現在地に完成。完成工事高60億円突破。

優良工事

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